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2008・6・28 「アニュータ」全二幕 モスクワ・ボリショイ劇場
2008年6月28日
アニュータ…スヴェトラーナ・ルンキナ
モデスト・アレクセーヴィッチ(アニュータの夫)…ゲンナージー・ヤーニン
アルトィノフ(舞踏会でのアニュータの相手役、大地主)…ヴィターリー・ビクチミロフ)(初)
~まえがき~ この演目はアントン・チェーホフの短編「すねかじりのアンナ」を基に作られています。原作タイトルは「Анна на шее」(アンナ・ナ・シェ―)で、直訳をすると“首に下がるアンナ”という意味になります。この言い回しはことわざとして使われる事が多く、意味は邦訳タイトルの通り“すねかじり”。実はこのタイトルが言葉遊びとなっており、文字通りに解釈をすると、“首に下がるアンナ勲章”とも受け取る事ができるのです。(アンナ勲章はアニュータの夫、モデストが夢にまで見るほど切望している。) ちなみにアニュータは、アンナの愛称です。
ロシア文学から創られた作品だけに、文学色の強いバレエでした。あまりバレエらしくないバレエで、歌のないミュージカルのよう。それでもやはりバレエなので、踊りを存分に楽しみたい人にとっては物足りないかもしれません。賛否両論ありそうですが、個人的には文学をうまくバレエにした、完成度の高い作品という印象です。ロシアという国の性質やロシア人の気質がよく現れており、単純なストーリーに隠された複雑な心理模様が全体に散りばめられています。音楽や演出、振付、事物の展開…様々な面でコントラストが素晴らしいです。まさしくロシア文学の世界でした。
そんなわけで注目したいのが、各ダンサーの演技。特筆すべきは、まずアニュータの夫モデストを演じたヤーニンをおいて他はないでしょう。いちいち演技が細かく、ネチネチとしていやらしい。そして禿げ頭にぽっこりお腹という、いかにもコメディっぽい姿からは想像もつかないほど、動きは俊敏で華麗。それでいて、格好悪く映るようにちゃんとキメている(!?)のが素晴らしいです。役者だなあ…とため息がでるほど素晴らしかったです。
結婚後、寝室でアニュータを寝床に導こうとするのですが、手つきも表情もいかがわしく、回りながらガウンのベルトを解く踊りがとにかくいやらしい。横目でちらりと様子を伺いつつ、ちょこまかと忙しなく手足を動かす様が、いかにもケチっぽく頑固そうです。念願の勲章を閣下から授かった途端、態度がえらそうになって役所を闊歩する様子は、まるで裸の王様状態…あげればきりがありませんが、全幕を通して、小市民的な滑稽な踊りが可笑しくも皮肉で、ある種の物悲しさすら感じられます。
そんなヤーニンとはまた違う、妙な濃い雰囲気を醸し出していたのが、ビクチミロフ。彼もまた役者でした。アニュータを舞踏会で誘って踊る、アルトィノフという大地主という役どころなのですが、ねっとりとしたしつこい色気が姿、踊り、視線、全体からにじみ出ていて…良かったです。何とも説明しがたいものがありますが、強いて言うならば、しっくりとくるものがあったという点でしょう。アクの強さが役柄と合っているように感じられたのです。インパクトの強いヤーニンの存在が薄れてしまう程に、独特の存在感を放っていました。この役が初めてだという事には驚きです。
主役アニュータを演じるルンキナ。上品さと落ち着きのある華やかさ、哀愁漂う佇まいが、役やセピア色の時代設定に合っていました。今ひとつ浮気が似合うような色気は感じられなかったのですが、年配の夫と並ぶと新妻の可愛らしさにそこはかとない品のある色香が加わって、“おじさまキラー”といった感じでした。横に立つ人によってその人の印象も変わるものなのだな、と改めて思ったものです。もしもアニュータが同じ年頃の若い男性と舞踏会に現れたなら、男性たちはあれ程まで彼女に夢中にはならなかったでしょう。ルンキナ演じるアニュータはその点をよく感じさせてくれた…と言うよりは、むしろルンキナのアニュータだったから、そういう点に気付くことができたのかもしれません。
ひとつひとつ挙げればキリがありませんが、特に印象に残ったのは、閣下と個室に消え、また会場に現れてからのほろ酔い姿。ほんのり上機嫌で陽気な様子が、よく表れていました。踊りのほうも最近は調子が良いようで、この日も中々のものでした。
アニュータのかつての恋人であった学生は、ドミートリー・リィーハロフ。はっきり言ってしまえば、申し訳ないけれども学生というには無理があるという雰囲気。まず体型も髪型も若々しくない。アニュータの夢の中にすっと浮かび出るシーンなど、過ぎ去りし日に思いを馳せられるはずもなく、どちらかというと今そこにいる中年男というただの現実感。興ざめでした。リフトはちゃんと支えていたので良しとしても、それでもやはり、不満が残るのは否めません。せめて、もう少し身体を絞ってほしい。
他には街の中や舞踏会で踊る女性、クセーニヤ・ケルン。舞台の雰囲気に溶け込みつつもどこかしら印象に残るという、丁度良い具合が良かったと思います。
あと気になったのは、モデストの夢の中のアンナ勲章のシーン。ここだけ舞台全体を通して違和感のある場面でした。安っぽい舞台装置や演出が好みではなかったですが、このくらい軽く扱われる方が勲章に踊らされている人間の滑稽さが出ているのかもしれません。最後に雪降る街の中、父と弟2人がトボトボと歩き、揃って後ろを振り返る姿が痛ましく切ないです。最初に書いた通り、バレエとしてどう評価できるのかはわかりませんが、一作品として見るならば一見の価値アリです。ロシアの文学世界を堪能できます。
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